2019年12月18日

新国立競技場は見事に時代の“空気を読む”ソツのない優等生だった│連載「甘糟りり子のカサノバ日記」#40

 アラフォーでランニングを始めてフルマラソン完走の経験を持ち、ゴルフ、テニス、ヨガ、筋トレまで嗜む、大のスポーツ好きにして“雑食系”を自負する作家の甘糟りり子さんによる本連載。

 今回は、12月15日に行われた国立競技場のメディア向け内覧会のお話。東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる、“新”国立競技場。甘糟さんはどう感じたのでしょうか。

このトラックを全力疾走したら気持ちいいだろうなあ

 新国立競技場の内覧会に行ってまいりました。

 「今」を体現した建物だなあと感じました。新しい建物だというのに、周囲の景色にすんなりと溶け込んでおります。その摩擦の無さこそが新しい競技場の個性なのかもしれません。

 見事に「空気を読んで」いるのです。

 常に炎上やハラスメントを恐れて発言や行動に気をつけ、周囲の人々に気遣いを見せなければならない、今の私たちのあり様を建物にするとああなるんじゃないかしらん。そんなふうに思いました。本当に無難。積極的にダサくはないけれど、モダンでもポップでもない。MUJIがプロデュースしたといわれたら納得するぐらい、ソツのない優等生という印象です。

 ひねくれ者の私は、正直に申し上げて「ザハ案の建築が見たなかったなあ」と思ってしまいました。いまさら、後出しじゃんけんかもしれないですけれども。って、ほら、こうやって予防線を張ってますよね。かつて週刊誌の連載では言いたい放題を書いてちょくちょく抗議のお手紙なんか頂戴していた私でも、できるだけ攻撃を受けない方向で行こう、となっちゃってるんです。そんな世の中を建物で例えるになら、新国立競技場というわけ。

 もしザハ案のまま計画が進んで、近未来というかキッチュな建物が代々木にドーンと出現していたら、私はすんなり受け入れられていたのかどうか、わかりません。世間は多少ざわついたことと思われます。でも、いいじゃありませんか、新しい建物が建つんだから。最初は空気をかき乱していたとしても、そうした摩擦も含めて使用され消費されて、街の一部になっていくわけで。それが、都知事の方がよくいう「レガシー」なんじゃないですか。

 建築家が作った建物は芸術品です。絵画や音楽のように感覚だけで受け止めるのではなく、使い勝手が試される芸術品。芸術なんですから、多かれ少なかれ受け手側に衝撃を与えるのは、役目の一つだと思うんです。

 なーんていってみても、新・国立競技場は建築家の作品というより、大手ゼネコンの商品と捉えた方がいいのでしょうね。

 なんでも外壁には47都道府県の木材を使ったそう。新国立競技場にはこうしたほっこりエピソードがいくつもあって、それがまたよく似合うんですよね。

 木漏れ陽を表現したという客席は、複数の色がアトランダムに配置されています。木漏れ陽の表現と同時に空席を目立たなくさせる効果もあるそうです。なんですけど、そういう配慮は本当に必要なんでしょうか。空席があるという現実を隠すことが選手のため、ひいてはその競技の明日のためになるとは私は思いません。運動会の徒競走で順位をつけないという発想と同じような、危険なものを感じます。

 5階はテラスがぐるりと一周できるように繋がっている「空の杜」で、周回は850メートル。道に沿って趣味が良さげにさまざまな種類の植物がふんだんに配置されています。悪くないんですよ。緑の多いこの街によーくマッチしていて。でも、ねえ。せっかく新しく始めるんだったら、もうちょっと種類を絞るとかして冒険してもいいんじゃないかなあとも思いました。秋元康さんの「記憶に残る幕の内弁当はない」という有名な言葉がそのまま当てはまります。まあ、ここの植物が記憶に残らなくても、なんの問題もないんですけどね。

 「空の杜」は、オリンピックが終わったら一般に開放される予定だそうで、この周回でジョギングする人がたくさん出てきそうです。ひねくれてケチ付けてばっかりみたいですが、新国立競技場は気持ちのいい場所だということは間違いありません。

 フィールドにおりて上を見上げたら、まあるく空いた天井から暮れかけた空が見えました。突然、走りたくなった。あつかましいですけれど、このトラックを余計なことは考えずに全力疾走したら気持ちいいだろうなあと思いました。

 この日は、『いだてん』の最終回でした。内覧会の興奮を抱えたまま帰宅して、テレビの前に座りました。泣きそうになりながら見ていて、閉会式の映像では涙腺が崩壊。実際の東京オリンピックの映像を使っていたと思われますが、一糸乱れぬ行進だった開会式とはうって変わって、閉会式では各国の選手が肩を組んだりハグしあったり、入り乱れて場内に雪崩れ込んでくるのです。国も人種も競技の結果も関係なく。オリンピックってこういうものなんだなあと思いました。

 私が生まれたのは1964年、東京オリンピックの年。劇中のキーマン・五りん(演:神木隆之介)の子どもと同級生なんです。勝手にご縁を感じております。

 今年の夏、新しい国立競技場ではどんな物語が描かれるのか、楽しみです。

▲国立競技場のトラックを前に

[プロフィール]
甘糟りり子(あまかす・りりこ)
神奈川県生まれ、鎌倉在住。作家。ファッション誌、女性誌、週刊誌などで執筆。アラフォーでランニングを始め、フルマラソンも完走するなど、大のスポーツ好きで、他にもゴルフ、テニス、ヨガなどを嗜む。『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』『エストロゲン』『逢えない夜を、数えてみても』のほか、ロンドンマラソンへのチャレンジを綴った『42歳の42.195km ―ロードトゥロンドン』(幻冬舎※のちに『マラソン・ウーマン』として文庫化)など、著書多数。『甘糟りり子の「鎌倉暮らしの鎌倉ごはん」』(ヒトサラマガジン)も連載中。近著に『鎌倉の家』(河出書房新社)『産まなくても、産めなくても』文庫版(講談社)

<Text:甘糟りり子/Photo:編集部>