2019年5月9日

打つ。この独特な開放感の正体とは?│連載「甘糟りり子のカサノバ日記」#29

 アラフォーでランニングを始めてフルマラソン完走の経験を持ち、ゴルフ、テニス、ヨガ、筋トレまで嗜む、大のスポーツ好きにして“雑食系”を自負する作家の甘糟りり子さんによる本連載。

 最近、トレーニングの一環として取り組んでいるというミット打ち。打つこと、そして、打つことで感じられる音とは?

集中と弛緩を瞬間的に繰り返すこと

 時々、サンドバックを打っています。

 通っているジムにはスタンド型のサンドバックがあって、筋トレの後に余力があるもしくは気分が向いた時、ミットをつけて打つのです。最初にフォームを教えてもらって、普段は自己流。脇を締めること、腕を伸ばしきることを心がけていますが、自分が気持ちよくなるのが最優先。リングにあがるわけでも、誰かを倒したいわけでもないですからね。

 私はそんなに闘争的な方ではありませんが、打つのは大好き。目の前の的だけを頭に置いて腕を動かしていると、そのうちに的が気にならなくなってきて、頭の中では何か別のことを考えたりするようになる。集中と弛緩を瞬間的に繰り返している感じです。これがすっごく気分転換になるんですよね。

 「夕飯何食べようかな」だったり「原稿に何書こうかな」だったり、いろんなことが頭に思い浮かぶんだけれど、どちらかというと今まで起こったことを振り返るというより、この先どうしようと考えることが多い気がします。

 サンドバックを打ちながら、「あの人にあんなこと言わなきゃ良かった」なんてのはあんまりない。ランニングを始めとする有酸素運動の時は、後悔や感傷も含めて過去のことに思いが行くこともあるのですが、打っていると瞬間瞬間の切り替えをしなくちゃならないせいか、過去を振り返る場合があんまりない。

 ボクシングに限らず、打つという行為には独特の開放感があると思います。それを感じるのは、やっぱり音に由来するところが大きいでしょう。「パシッ」「スコーン」「カーン」、自分の動作で生み出した軽快で短い音を受け止めるのは感覚への最高の刺激。耳というより脳にきますよね。この音があまり軽快でない場合は動作に失敗しているということです。失敗をほぼ同時に身体と心に伝えてくれるのは音なんですよね。

 ゴルフだと、打った瞬間に鈍い音がするとボールの行方を見なくても「あ〜あ」と思います。私程度の腕前だと、ボカッと鈍臭い音とともに芝生が飛び散ったりすることも多々ある……。

 昔の野球中継の話ですが、打たれた瞬間に後ろを振り向かずにホームランを確信してマウンドを降りた投手がいましたよ(サヨナラホームランだったので)。誰だったっけなあ。かなり前のことなのでうろ覚えですが、あれはかっこよかったです。プロの放つ音ってそれぐらい強烈なんでしょうね。こうして書いていたらバッティングセンターに行きたくなりました。まあ、大した音も出せないでしょうけれど。

 私にとって一番親しみを感じるのは、長くやっていたテニスの音です。ゴルフや野球よりもボールが柔らかいから打った時の音も軽やか。グランドスラムの時期はテニス中継をつけっ放しにしているのですが、テレビの前に座っている余裕がないときでもあの「スコーン」「パコーン」っていう抜けのある音がいいBGMになるのです。

 運動と音は切っても切り離せませんね。

 もしかしたら、私は音が聞きたくてトレーニングの後にサンドバックを打っているのかなあ。ジャストミートした時の、あの揺るぎない音を。

[プロフィール]
甘糟りり子(あまかす・りりこ)
神奈川県生まれ、鎌倉在住。作家。ファッション誌、女性誌、週刊誌などで執筆。アラフォーでランニングを始め、フルマラソンも完走するなど、大のスポーツ好きで、他にもゴルフ、テニス、ヨガなどを嗜む。『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』『エストロゲン』『逢えない夜を、数えてみても』のほか、ロンドンマラソンへのチャレンジを綴った『42歳の42.195km ―ロードトゥロンドン』(幻冬舎※のちに『マラソン・ウーマン』として文庫化)など、著書多数。『甘糟りり子の「鎌倉暮らしの鎌倉ごはん」』(ヒトサラマガジン)も連載中。河出書房新社より新著『鎌倉の家』が刊行。

<Text & Photo:甘糟りり子>