インタビュー
2020年2月27日

ソフトボール出身、小柄、甲子園の出場経験なし⋯⋯すべての経験が今につながっている。埼玉西武ライオンズ・源田壮亮(後編)|子どもの頃こんな習い事してました #29 (1/2)

 スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 小学校時代はソフトボールに熱中していたという埼玉西武ライオンズの源田壮亮選手。硬式野球を始めたのは中学校に入ってから。ソフトボール出身であることは、その後どのような影響を与えたのでしょうか。

ソフトボールから始めたことで守備力がついた

――小学校時代はソフトボール、中学から硬式野球のクラブチームに入ったそうですが、ソフトボールから始めたことは中学以降のプレーや将来プロ野球選手をめざす上で不利にはなりませんでしたか。

僕は近くに野球チームがなかったのでたまたまソフトボールを始めたわけですが、結果的にソフトボールでよかったんじゃないかなと思っています。たとえば、ソフトボールは小学生の硬式野球や軟式野球と比べて塁間が短いんです。だから守備ではボールをとったらすぐに投げないとセーフになってしまう。ボールは軟式よりも硬式ボールの跳ね方に近い。野球の技術を身につけるという意味では、ソフトボールは決して不利ではない。意外といいと思います。

――硬式野球にはすぐに慣れましたか。

やっぱり最初はとまどいもありました。リードの仕方がわからないし、ソフトボールは下から投げるけど、野球は上から来るので打ち方もわからない。でも慣れます。プロ野球選手でソフトボールをやっていた人はけっこう多いですよ。

――高校は野球の強豪校である大分県立大分商業高校に進学しましたが、大分大会決勝が最高で甲子園出場経験はありません。その点もプロ野球選手をめざす上でコンプレックスにはならなかった?

甲子園に出られなかったのも今はよかったんじゃないかなと思っているんです。大学の野球部には甲子園に出た人がいっぱいいたんですが、そういう人の話も、「俺も出たし」と張り合うことなく素直に聞ける。「へえ、そうなんだ」と感心しながら、いろいろな経験談を聞くことができました。

――一見、マイナスになりそうなことでも肯定的に捉えられるんですね。小さい頃からそういう性格だったのでしょうか。

昔からめっちゃ楽観的ですね。他人と比較するということが昔からあまりなくて、「自分がやるべきことをちゃんとやっておけばどうにかなる」と思っている子でした。

――「やるべきことをやる」ということは、練習も好きですか。

嫌いじゃないですね。野球を辞めたいと思ったことも一度もないです。

高校入学時で158センチ、野球は高校で終わると思った

――体格は大きくなかったと聞きました。

高校入った時点で158センチ。クラスで一番小さかったです。そこからゆっくり伸びて高校2年生の冬から3年生の春先まででぐんと伸びました。2年生の冬までは、この先野球をやるのは無理だからふつうに就職しようと思っていました。野球は高校までで終わりだな、と。3年生になって身長が伸びたら野球でお話をいただくことが急に増えて、「もしかしたらもっと野球ができるのかな」と思うようになりました。身長が伸びていなかったら辞めてましたね。

――ずっと小柄だったことでプレーへの影響はありましたか。

頭をよく使っていました。体格のいい人たちに勝つにはどうすればいいか、他の選手とは違う方法でチームに貢献するにはどうしたらいいか、自然と考えていました。それから飯をめちゃくちゃたくさん食べていました。お母さんが一生懸命ご飯をつくってくれていましたね。なかなか伸びなかったけど、急に伸びたので意味があったと思う。食べることは大事だと思っています。

あとは休むこと。中学生の頃にボールが目に当たって骨折したことがあって、1週間入院してベッドで安静にしていたら身長が2センチ伸びたんです。その時、休むことは大事だなと思いました。

――大きなけがですが、それでもくじけなかった?

いざグランド戻ると怖かったですね。ボールが全部目に入ってくるような感じがして思わずよけちゃうんですけど、コーチが恐怖心を取るところからの練習をつきっきりで見てくれました。高校でも1回顔に当たって同じようなことになったんですけど、そのときも同様に練習を見てくれる人がいました。人に恵まれているなと思います。

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