インタビュー
2018年11月26日

リンクで大泣きしていた子ども時代、泣いたからこそ「がんばろう」と思えた。プロフィギュアスケーター村上佳菜子(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #18 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍していたアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 3歳からフィギュアスケートを始め、フィギュアスケートのために体操、バレエ、ダンスを習っていたという村上佳菜子さん。忙しい毎日に「やめたい」と思ったことも多かったそうです。それでも続けてきたその思いとは……?

関連記事:体操、バレエ、ダンス。すべてはフィギュアスケートのためでした。プロフィギュアスケーター村上佳菜子(前編)

子どものころはコーチになりたかった

――子どものころの夢は、やはり「オリンピック選手」ですか。

実は、バンクーバー五輪(2010年)の浅田真央さんの演技を見て初めて「真央ちゃんみたいに大舞台で演技してみんなを感動させられるような選手になりたい」と思うようになったんです。それまではオリンピックに出たいと思ったことは一度もなくて、山田満知子先生みたいなコーチになりたいと思っていました。満知子先生が大好きで大好きで、「満知子先生になりたい。将来、コーチになったら金髪にしてサングラスするんだ」と思っていたくらいです(笑)。

――山田コーチに言われたことで印象に残っている言葉はありますか。

小さいころに「佳菜は愛されるスケーターになりなさい」と言われました。「優勝しても愛されていなかったら記憶から消されてしまう。3位でも5位でも愛されていれば『あの選手はよかったね』と記憶に残るから、そういう選手になってほしい」と言われて、小さいながらも心が震えました。その言葉はずっと頭のなかに残っています。

――選手時代、演技前に山田コーチが手を取ってアドバイスし、村上さんが大きくうなずいている様子が印象的でした。緊張しやすいタイプだそうですね。

緊張します。始まってしまえば大丈夫なんですが、演技前のポーズを取るまでがいちばん嫌いでしたね。緊張しすぎて、実は満知子先生のアドバイスも右から左で、全然覚えてない(笑)。いつも体を軽く動かして気を紛らわせたり、祖父から教わったおまじないをしたりしていました。どういうおまじないかは内緒です(笑)。

あとは、アップのときにノリノリの音楽を聴いたりしていました。聴く曲は試合の日によって違うんですが、大好きな加藤ミリヤさんの曲を大声で歌いながらアップすることもあります。

今もテレビ出演するときは本当に緊張します。緊張すると体を動かしたくなるんですけど、それはタレントさんにはあまりないみたいで、アスリートならではかもしれません。

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