2018年6月1日

「がんばる」は呪文?│寺田明日香の「ママ、ときどきアスリート~for 2020~」#4 (1/2)

 みなさん、こんにちは! 7人制ラグビーの寺田明日香と申します!

 6月になったところで、みなさんのこころは、健康を保っているでしょうか。「五月病」という言葉があるように、少しお疲れ気味の方もいらっしゃるのではないかと思います。私もアスリートながら、精神的に疲れてしまうことはあります。そこで、今回はこころの持ち方について考えたいと思います。今回も、お付き合いのほど、よろしくお願いします!

“がんばる”と“努力する”は魔法の言葉!?

 さて、みなさんは、“がんばる”や“努力する”という言葉をどれくらい発し、どれくらい自分のこころの中で呟くでしょうか。お仕事や家事、人とのお付き合い、スポーツシーンなど、さまざまな場面で“がんばる”は登場しているのではないかと思います。

 私は立場上(ママ、ときどきアスリートです)、この2つの言葉を発する機会は多いのですが、たまにその言葉を発したときに、こころにぽっかり穴が空いたような、焦燥感のような感情に駆られることがありました。その感覚は、陸上選手をやめる少し手前からあったように思いますが、その正体は掴めずにいました。

 そんな中、先日3歳9ヶ月の娘とのやり取りの中で、少しハッとする出来事がありました。娘のスイミング教室の送迎をしたのですが、なんと日程を間違えていて、教室がお休みだったのです。その時、娘は「今日もプールがんばりたかった。プール大好きなのに」と言いました。

 その言葉を聞いたとき、私はこころにグサっと刺さるものを感じ、“今の自分は持っている全てのことをがんばりたい(好きだから自主的に取り組みたい)と思ってがんばっているのだろうか”と、ふと考えてしまいました。

好きという気持ちが自分を追い詰める

 私が陸上競技を始めたときは、ただただ走ることが大好きで、私が走ることで家族や友だちが喜んでくれる姿を見るのが楽しくて、“がんばりたい”という気持ちでやっていたように思います。

 しかし、いつの間にかがんばることが当たり前になり、目的が勝つことに変わり、さらには勝ってもそれが普通になり、負け(失敗)は許されないと、年齢と経験を重ねるにつれて、自分で自分を追い詰めていっただけなのではないかと思いました。

 素直な“がんばりたい”が、“がんばらなくてはいけない”という(勝手な)義務化によって、こころの余裕がだんだんと無くなっていったのです。

 お仕事や生活のことを考えても、結果(利益)を出すのが当たり前、家事をやるのが当たり前、すべてのことをがんばらなくてはいけないと考えると、少し息が詰まってしまってしまうように思います。

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