インタビュー
2018年1月26日

戦力外通告を受けて引退、そして起業家へ。小杉陽太氏(前編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #6】 (1/3)

 アスリートが引退後の道を模索する時、同じ世界に残りたいと思う人と、まったく別天地に飛び出す人に分かれます。2017年に、9年間在籍した横浜DeNAベイスターズから現役引退した小杉陽太氏は、まさに後者。

 しかもその理由は、野球ができなくなったなどというネガティブなものではなく、自らの手でおもしろいイベントを生み出したいという新しい夢を実現させるため。そのためにイベント会社の株式会社l'uniqueも起こしました。

 身長187cmのスリムなスタイルは現役時代そのまま。スーツもバチっと着こなした若き代表取締役に、野球界からビジネス界に飛び込んだ理由や、さまざまな決断の瞬間をお聞きしました。

▼後編はこちら

人と人の出会いや絆を大切にしたイベントを作っていきたい。小杉陽太氏(後編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #6】 | ビジネス×スポーツ『MELOS』

苦しい現実から逃げ出してしまった大学野球時代

― ご出身は東京ですね。

 父親は秋田の出身ですが、僕は江東区の北砂生まれ。育ったのは東陽町で、もろ下町育ちです。

― 野球を始めたのは地元の少年野球で?

 実は、うちはバスケット一家で、僕も小学校6年までずっとバスケットボールだったんですよ。で、松坂大輔選手も所属していた東陽フェニックスという少年野球チームがあるのですが、当時のキャプテンが同じクラスで、人数が少なくて試合できる人数ギリギリだから、野球やりに来てよと言われて。

 それまで野球は1回もやったことがなかったんですけど、初めての試合でホームラン打っちゃったんです(笑)。ビギナーズラックでしょうが、それで「野球おもしろいな」と思って、半年ぐらいでチームに入りました。

― 二松学舎大学附属高等学校に進学されたのは、本格的に野球をやろうとしたからですか?

 そうです。家から近かったし、中学校の同じチームから2人の進学が決まっていたので、じゃあみんなで行こうと。

― プロ野球へ進もうと決めたのはその時ですか?

 いや、小学校の頃から思ってました。なりたいというより、なれるものだという気持ちはずっとありましたね、勝手に。

― しかし、高校から亜細亜大学に進学されますが、3年生で退学されてしまったそうですね。その理由は?

 うーん、当時、股関節亜脱臼のケガをしたり、加えて家庭のことでバタバタしていて……野球に専念できなかった。大学の練習はめちゃくちゃきついですし、その中で同級生に置いていかれる焦りもあって、だんだん野球がおもしろくないな、しんどいなって思うようになって。

 それで野球を辞めようと寮を出て、大学も退学しました。野球をするために大学に入ったので、野球をやらないなら行っても意味ないなと思ったんですね。それから半年間は、原宿のフレッシュネスバーガーでバイトしていました。

― 小学校からの夢を諦めてしまったのですね。

 挫折だし、結果としては現実から逃げ出しているんだけど、それを認めていない自分もいました。だから、それを忘れるために朝からフルでバイトを入れたり、友達と遊んだりしたけど、やっぱりそういうのって無理してやっているんですよ。テレビのスポーツニュースで同期が活躍しているのを見ると、ああ、自分がいる場所はここではないなと感じてました。本当は野球がやりたかったのだと思います。

― バイトをしている時に自主練習などはやっていたのですか?

1 2 3