2018年3月12日

30代、理容師の場合。「ウルトラマラソンは自分との戦い。走り続けるのも、足を止めてしまうのも自分次第」┃仕事とランの両立を目指して。#3 (1/3)

 さまざまな職業で活躍しながら、ランニングを趣味・競技として楽しむランナーを取り上げる本連載。今回は愛知県で有限会社ビューティーサポート愛知を経営する傍ら、知多市にあるヘアーサロン「はまゆう」を営む、理容師の濱野弘照さんにお話を伺いました。

 今回は理容師のランナーということで、実際に働いていらっしゃるお店へ向かいました。すると濱野さんご本人から、思わぬご提案が。 

「せっかくなので、髪切っていきませんか? 切りながらお話しましょう」

  なんと、髪を切っていただきながら取材がスタート。これまで何人もの方々にお話を伺ってきましたが、散髪しながらというのは私も初体験です。このご提案だけでも、濱野さんの気さくな人柄が垣間見えるのではないでしょうか。

 お言葉に甘えて髪を切っていただきましたが、自分でもビックリするほど変わりました。しかも素早くて、取材しているとあっという間のできごと。リピーターが多いそうですが、これは心から納得です。そんな濱野さんは、日々どのようにランニングへ取り組んでいるのか。また、そもそもランニングを始めたキッカケなどについて、ぜひご覧ください。

お客さんとの関係がキッカケでランニングを開始

 もともと親が理容師だったことをキッカケに、自然と同じ道を志すようになったという濱野さん。中学2年生の14歳で元服の儀、いわゆる立志式を迎えた際に書いた作文には、すでに理容師になりたいという目標を綴っていたそうです。

「親の姿を見てきましたから、自然な流れですよね。特に意識することなく、自分も理容師になるのかなと考えていました。名古屋の専門学校に進学し、卒業後は東京で就職。上京してみたい気持ちと、一人暮らししてみたいという気持ちがあって、東京に出ました。愛知県内でも名古屋などで一人暮らしはできますが、実家が近いと甘えが生まれてしまいそうで……。東京では10年務め、それから愛知に戻ってきました」


 愛知県に戻ってから、実家の経営するヘアーサロンでの仕事がスタート。約1年は東海市の支店で働き、知多市にある現在の店舗(本店)に入ったと言います。それから約7年、現在はヘアーサロン「はまゆう」代表を務めながら多忙な日々を過ごす濱野さん。現在も理容師として腕を振るいますが、仕事のおもしろさについて次のように話してくれました。

「髪を切ることで、人が変わっていくのがおもしろいですね。見た目の印象はもちろん、表情が明るくなるなどいろんな変化があります。また、どの職種を見てみても、マンツーマンで1時間以上を過ごす仕事って希少だと思うんですよ。まして人の身体に触れながら接する仕事ですから、信頼関係がなければ成り立ちません。そうしたことに、とてもやりがいを感じています」

 例えばリピートでの来店も、やはり信頼があればこそ。濱野さんは髪を切る技術以上に、人と人との関係を大切にされていることが伺えます。実際、ランニングを始めたキッカケにも、やはりお客さまとの関わりがありました。

「ランニングを始めたのは2014年です。東京で務めていた頃のお客さんに、マラソンをされている方がいたんですよ。当初もお誘いを受けて東京マラソンに申し込み、これに向けて週末少しだけ走っていました。ほぼ遊びのような感覚ですけどね。しかし残念ながら東京マラソンは落選。それから愛知に戻ってランニングからは離れていたんですが、そのお客さんとは関係が続いていました。そんな中、知多半島で“ウルトラ遠足”という100kmの大会があるから、一緒に出ないかと連絡を受けたんです」

 その時点で、42.195kmを超える大会の存在すら知らなかったとのこと。フルマラソンすら経験していない中で、普通ならばたじろいでしまうところでしょう。しかし濱野さんは、まったく違う反応をしました。

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