インタビュー
2018年1月11日

「解散したら今までが嘘になる。だから僕らは死ぬまで続ける」ゆでたまご・嶋田隆司先生が語る『キン肉マン』(後編)│熱血!スポーツ漫画制作秘話 #3 (1/4)

 連載当初から爆発的人気を誇った「キン肉マン」。誕生秘話に引き続き、後編では原作者である、ゆでたまご・嶋田隆司先生にキン肉マンの必殺技や超人募集、ゆで理論など、さまざまなお話を伺います。

▼前編はこちら

「僕らには『キン肉マン』があるやないか!」ゆでたまご・嶋田隆司先生が語る『キン肉マン』(前編)【熱血!スポーツ漫画制作秘話 #3】 | 趣味×スポーツ『MELOS』

怪獣退治を経て、プロレス路線へ

——最初の怪獣退治を経て、超人オリンピックの頃からプロレス路線にシフトしていきますが、そこはどのような狙いがあったのでしょうか?

あれも最初はオリンピックを開催して、超人たちにいろんな競技をさせたいだけだったんですよ。超人重量挙げだったり、月までマラソンに行ったり。

——ジャンケンもしてましたからね(笑)。

ただ、たまたま初期に一回、アブドーラと猛虎星人が出た回でキン肉マンとテリーマンがプロレスのリングで試合したんですよね。それがものすごく人気出たんですよ。それがあったのと、あとは中野さんも相棒も、僕もプロレスが好きだったので、自然とバトル方向に行ってしまったんですよね。

▲「これがまた、どんどん人気が出ちゃったんですよね」

——初期の頃からアントニオ猪木さんがアントンリブを売っていたり、テリーマンのモデルも含めて、プロレスネタは散りばめられていました。

ただ、キン肉マンはあくまでも1話完結のギャグ漫画だったので、まさか自分でもプロレスにシフトしていくとは思わなかったですよ。でもそこはやはり“ゆでたまご流”というか、とにかく行き当たりばったりで読者の反応を見て作っていくという意味で、方向性を変えていくことに抵抗はありませんでした。

——まずは読者の求めているものを提供していくというのが“ゆでたまご流”ということですね。

それが得意なジャンルだって早いうちに気づけたのはよかったですよね。自分は何が得意かということに気づかないまま消えていく漫画家が多い中で、僕らは18歳のときに武器がわかったので。もちろんそれは運もあると思うし、人にも恵まれていた。周りにプロレス好きが多かったし、プロレスも盛り上がってる時期だったというのも大きいですね。

お笑い中心だったキン肉マンを「カッコよく」見せるようになった

——連載が始まって2年後に初代タイガーマスクが登場しますからね。そして連載を重ねるごとに、キン肉マンはその地位を不動のものとしていきます。

でもそこまで順調でもないんですよ。まずオリンピック後のアメリカ編で一回大失敗してますから。そのあとに宇宙野武士編を経て、超人オリンピック ザ・ビッグ・ファイトで盛り返すのですが、あれも当初考えてたストーリー通りには進んでないんです。

——キン肉マンとウォーズマンが戦ったあのオリンピック編ですよね?

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