インタビュー
2017年12月13日

1521kmの本州縦断レースを約467時間で一気に完走。その偉業にチャレンジした理由とは (1/2)

 青森から山口・下関まで、1521kmもの道のりを走る「本州縦断・青森~下関1521kmフットレース」。720時間という制限時間で開催され、競技期間は7ヶ月設けられています。この期間中、参加者は宿泊したり、いったん離れて再びその離脱点から走り始めたりすることも可能。そのため、一度に走り続ける距離やスケジュールは自由に設定できます。

 しかしそんな中、一度も離脱せずに、約20日間をかけて一気に走破した方がいます。それが、今回お話を伺った村場伸也さん。しかも完走タイムは歴代3位を記録しました。たとえウルトラマラソンを完走したことのある方ですら、想像さえできない1521kmという超ロングレース。なぜ、村場さんは一度も離脱しないという方法を選び、その道中どんな出来事があったのでしょうか。その物語をご覧いただきましょう。

マラソン経験はいきなりウルトラマラソンから

 大阪府出身、現在は高知県にお住まいの村場さん。小学校4年生から陸上競技をはじめ、20歳まで主に短距離選手として競技に取り組まれてきました。走ること自体は身近だった村場さんですが、短距離と長距離では求められるものが全く違います。私も学生時代には中距離、そして十種競技をメインにしていましたが、マラソンを始めた初期は“走りきる”ことすら苦労しました。そのため、きっと10kmやハーフマラソンから少しずつ距離を伸ばしてきたのだろう……そう思っていたのですが、実際はまったく違いました。なんとフルマラソンすら走らず、いきなり100kmに挑戦したと言うのです。

「地元で四万十川ウルトラマラソンという大会が開催されていたので、2007年に初めて出場しました。それが初めてのマラソン大会ですね。ほとんど練習していなかったので当たり前ですけど、現実は厳しく約57kmでリタイア。収容バスに揺られながら外を眺めていると、まだ走っているランナーの姿が羨ましく感じました。ゴールで泣いている方もいて、100km走った先に何があるのか、一気に興味が強まりましたね」

 以後、まずは毎日1.8km走ることを目指し、本格的にランニングを開始。2008年に県内のマラソン大会へ出場し、翌年再び『四万十川ウルトラマラソン』にチャレンジした村場さんは、13時間弱というタイムでゴールを果たしています。

「走り終えてみて、泣けるような感動というより悔しさがありました。例えばレース中、走り切れずに歩いてしまったことなど。とはいえ完走できたので、今度はもっと速く走れるようになろうと、“速さ”を目指すことにしたんです」

 それから5年間は“速さ”にフォーカスした練習に切り替えた村場さん。しかしそんな中、「山口100萩往還マラニック大会」という大会を知ったそうです。

「2011年に、『山口100萩往還マラニック大会』140kmの部へ出場したんですよ。私の想定では、過去の完走タイムを見て優勝できるんじゃないか?なんて思っていました。しかし結果は、ズタボロになりながら23時間かけてゴール。真夜中に見たランナーの姿は衝撃的でしたね。縁石を枕にして寝ていたり、あぜ道の芝生に寝ていたり。電柱にぶつかって謝っている人までいましたから。この経験を経て、今度はもっと遠くへ走れるようになりたいと思うようになったんです」

 140kmの完走でも十分に驚くべき距離ですが、この経験が村場さんを超長距離の世界へと引き込んだのでしょう。ついに、「本州縦断・青森~下関1521kmフットレース」を走破するまでの道のりが始まります。

「2012年に、萩往還の250kmに出場。47 時間56分ほどで完走しました。骨挫傷しており、次はもっと余裕を持って走ろうと思ったのですが、人気大会のため翌年はエントリーできず。仕方ないので2013年は萩往還ではなく、『川の道フットレース520km』に挑戦することにしました。制限時間は130時間。一番長く走った人が一番楽しんでいるのだという考えがあって、ゴールはブービーでしたね。それでも達成感がすごくて、今でも覚えていますよ。あとは高知県を横断したり、小江戸大江戸200kに出場したり……。そして2016年、『本州縦断・青森~下関1521kmフットレース』にエントリーしました」

 いよいよ走ることとなった「本州縦断・青森~下関1521kmフットレース」。しかし初めてエントリーした2016年は、肩を怪我してしまいDNSとなりました。そして2017年、改めて挑戦し完走。しかも村場さんは、何回かに分けて走り切っても良い本大会を、あえて離脱することなく“通し”で走ったのです。

なぜ“通し”での挑戦を選んだのか

 1521kmを通しで走り切る。私もこれまで数多くのウルトラマラソンを走ってきましたが、それでも想像すらできない世界です。果たして村場さんは、なぜ通しで走ろうと考えたのでしょうか。

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