インタビュー
2017年11月30日

東京パフォーマンスドール・浜崎香帆「ソフトボール部での経験を通じて人間力が鍛えられた」(後編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#6 (1/3)

 スポーツにガチで打ち込んだ経験を持つアイドルに、その思い出や競技の魅力について語ってもらうインタビュー連載「アイドルと、スポーツと、青春と。」。

 第6回は、東京パフォーマンスドール(TPD)の浜崎香帆さん。篠原涼子さんなどを輩出した初代TPDのDNAを継承し、2013年から活動を開始した同グループは、MCを入れずに歌とダンスを繰り広げるライブ「ダンスサミット」を精力的に開催しています。

 後編で浜崎さんに話してもらったのは、中学生の頃に入ったソフトボール部について。厳しい練習のほか、今でも仲の良い仲間たちや、「人生の恩師」と仰ぐ監督のエピソードを聞きました。

▼前編はこちら

東京パフォーマンスドール・浜崎香帆「今のアクロバットな動きは新体操時代の賜物」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#6 | 趣味×スポーツ『MELOS』

レギュラーになるのが遅かったから、成長している実感が強かった

——中学校でソフトボール部に入部したそうですが、どういう基準で選んだのですか?

 まず吹奏楽部に入ろうか迷ったんですね。もともとピアノを習っていたし、音楽も好きだったから。幼馴染も入部するというので、じゃあ私も……と思ってたんですけれど。最終的にソフトボール部に入りました。親も弟も野球をやってたし、観戦するのも好きだったので、憧れを持ってたのかな? 当時は何かかっこいい理由を語っていたみたいなんですけど、もう忘れちゃいましたね(笑)。

——昔から野球観戦が好きだったんですか?

 大好きです。上京してからはあんまり地元の福岡に戻れないので、ホームでソフトバンクホークスの応援をする機会はないんですけれど。昔はよく球場に行って選手にサインをもらってたんですよ。いちばんうれしかったのは、(アレックス・)ラミレス選手にもらったサイン。今は監督としてDeNAベイスターズを率いていて、今年はクライマックスシリーズから日本シリーズにも出場していてすごかったですよね! 私は家族とソフトバンクホークスを応援してましたけど(笑)。

——なるほど(笑)。ソフトボール部ではどのポジションを担当していたんですか?

 最初はサード。先輩が卒業してメンバーが少なくなった2年生の夏からキャッチャーになりました。

——浜崎さんの華奢な体型でキャッチャーをこなすのは大変そうです。

 そうですね。ソフトボールってけっこう体格の良い子が多いんですけど、私はその2分の1くらいの大きさだったので、スライディングしてきたランナーに飛ばされてました(笑)。だから、サードにランナーがいるときはいつも怖かったです。

——新体操とは違った怖さですね。

 でも、なんだかんだ楽しかったですね。私はレギュラーになるのも遅かったから、這い上がっていく感じがあったというか、少しずつ追いついていく気がしたのが良かったのかもしれません。仲のいい子たちは1年生のときから試合に出てたんですけど、私は出れなくて。だから、3年生になってから試合に出られるようになって、ようやく自分の出番がきたって感じでした。

ソフトボール部の監督は人生の恩師

——厳しい部活には怖い監督がつきものですが、ソフトボール部はいかがでしたか?

 すっごく怖かったですよ。監督は坊主にサングラス、体格も良くて、常にブラックコーヒーを飲みながらタバコを吸ってました。試合で失敗するとバリバリの博多弁で怒鳴られるんです。あるときは2時間くらい外で立ちっぱなしで説教されたこともあります。

——よくやめなかったですね(笑)。

 でも、人生においての恩師だと思ってます。礼儀や挨拶など人間として鍛えてもらった部分がすごく大きいので。

——印象に残っている先生の教えはありますか?

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