インタビュー
2017年5月17日

AKB48佐藤朱「テニスで全国大会出場。あの瞬間はいまでも鮮明に」(前編)│新連載「アイドルと、スポーツと、青春と。#1」 (1/4)

 スポーツにガチで打ち込んだ経験を持つアイドルに、その思い出や競技の魅力について語ってもらうインタビュー連載のスタートです。

 第1回はAKB48チーム8の宮城県代表、佐藤朱さん。高校2年生時に硬式テニスのシングルスでインターハイ(全国高等学校総合体育大会)に出場した経験を持ち、現在もテニス専門誌に連載を持つなど、特技を活かして活躍中です。

 前編では、テニスを始めたきっかけや厳しい練習に励んだ日々の思い出、競技生活で印象に残っている場面について語ってもらいました。

メガネを拭く余裕がないほど厳しい練習

——まず、テニスを始めたきっかけを教えて下さい。

両親がふたりとも学生時代にテニスをやってたので、子どもにもやらせたいと思っていたみたいです。初めてテニスをやったのは6歳のときかな。それ以来、週末になるとテニスコートを予約して、家族で一緒に練習していました。

——テニスクラブに入ったのも、その時期ですか?

そうですね。でも、その頃は週に1回練習に行くだけで、本気でもなくて。上手さによってクラスが分かれていたんですけど、小学5年生のときにひとつ上のクラスに入ったら練習にまったくついていけませんでした。ついていくのがやっとという感じで、「ああ、本当の練習ってこういう感じなんだ…」って思いましたね。生徒の人数も多いし、体力的にもつらい反復練習ばかり。このクラスに入ってからしばらくの間、毎週レッスンが始まる前に練習についていくための練習をお母さんと一緒にしていました。

 ▲小学生時代、試合に出始めた頃

——悔しかったんですね。

悔しさと、恥ずかしさもありましたね。自分だけずば抜けて下手だったので。周りは同年代の生徒ばかりだったし、「自分もテニスをやってきたのに、なんで……?」っていう気持ちがあったんだと思います。

——自分だけついていけないと、練習前は気が重いですよね。

「今日もきっと自分だけできないんだろうな」って思うと、もう、すっごいイヤでした。でも、不思議とクラブに行くのを辞めるという選択肢はなかったです。それは両親の存在が大きくて。毎週のように練習に付き合ってくれて、「今日はこれができるようになったね」って小さいことでも褒めてくれたんです。あと練習中にアドバイスもくれるんです。「足をもっと常に動かして」「腰を低く」って。母の分析が鋭くて、いつも頼りにしてました。

——その頃は、どのくらいの頻度で練習していたんですか?

レベルが上のクラスになってからは、週に2回、土日に2時間ずつ練習していまいた。そのときは体力を向上させるメニューが多かったですね。たとえばコートを2面使って、長い距離を走ってボールを打つのを繰り返したり。もちろん大切な練習なんですけど、当時は体力が全然なかったので本当にしんどかったです。

——技術よりもまず体力が追いつかなかったんですね。

そのクラスでは、小さいときからテニスを始めて、試合にもたくさん出てる生徒が多くて。みんなに影響されて、「私も試合に出たい」「仲良くなって、一緒にダブルスに出たい」って思うようになりました。それまでは両親と練習してたのが、だんだん友だちと練習するようになっていきましたね。

——周りのレベルが高いと、自分も引き上げられるわけですね。

中学3年生のときに、教わっていた先生が別のクラブに異動することになって、私もついていくことにしたんです。そこではもっとレベルの高い、元プロの田口亮太さんがコーチのクラスがあったので、その練習にも参加するようになって。そこからはテニス漬けの毎日。週6日は練習していました。田口コーチのもとには、全国から生徒が集まるんですよ。私はたまたま地元で出会えたので、ほんとにラッキーでした。

——そのクラスも、やはり練習内容は厳しかったのでしょうか?

そうですね。中3まではメガネをかけてたんですけど、田口コーチのレッスンを受けるようになってからコンタクトに変えたんですよ。というのも、私はすごい汗かきなのでメガネがすぐに曇っちゃうんです(笑)。それまでは拭う余裕があったんですけど、田口コーチの練習は激しすぎてその余裕が全然なくて。そのくらい大変でしたね。

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