インタビュー
2017年8月23日

「勝ち負けに関しては何も言わない」。天才少女を生み出した両親の“子どもの伸ばし方”。スピードスケート髙木美帆(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #1 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍するアスリートに、幼少期の習い事について訊く新連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのように競技に活かされているか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 5歳からスケートを始め、その後も水泳、ヒップホップダンス、サッカー、陸上に取り組み、輝かしい成績を残してきたスピードスケートの髙木美帆選手。後編では、両親はどのように髙木さんを応援してきたのか、子どもの頃の思い出を聞きました。

◆前編はこちら
・スケート、ダンス、サッカー。“何かのために”ではなく純粋に楽しむ、だから続く。スピードスケート髙木美帆(前編)【子どもの頃こんな習い事してました #1】

やりたいことはすべてやらせてもらった幼少時代

――「小さい頃こういう習い事がしたかった」「こういう習い事をしとけばよかった」という思いはありますか。

全然。やりたいことはすべてやってきたから。音楽系の習い事をしていれば、なにか楽器が弾けたり歌をうまく歌えたりできたかもしれないと思ったこともありましたが、どうしても習いたいわけではなかったし、子どものころにやり残したことはないですね。

――それだけ子どもがしたいことを思う存分させてくれたご両親の存在も大きいですね。

大変だったと思います。兄妹3人、スケートをずっと続けるのは金銭的に安くはないですから。日本代表に選ばれるようになってからは支給品が増えたり、海外遠征費は連盟で負担してくれたりするんですが、小学校、中学校の前半は大会の出場費用などがかなりかかったと思う。その時期はあまりお金のことを意識しなかったので具体的にはわからないですけど。

――経済面に加えて、お弁当作りなど毎日のことも積み重なるとけっこう大変です。

我が家の方針は「女の子は高校生になったら自分でお弁当を作りなさい」。だから毎朝、母、姉、私の3人で父の分も含めてお弁当を作っていました。当時は自分で作らないとお弁当がないので「仕方なく……」という気持ちだったんですが、そのおかげで料理ができるようになったので、今思えばありがたかったと思います。

ちょうどいい距離間で見守ってくれていた両親に感謝

――子どもの頃、次々に素晴らしい結果を出す高木さんを、ご両親はどのような距離で見守ってくれていたのでしょうか。

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