インタビュー
2019年5月2日

ピアノや絵画、どの習い事も続かず、スポーツもイマイチ、体育で5を取ったことはありません。川崎フロンターレ・中村憲剛(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #22 (1/4)

 スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第22回は、川崎フロンターレの中村憲剛選手。小学1年からサッカーのクラブチームに所属し、以来、サッカーひとすじ。他の習い事もいくつか試してみましたが、どれも長続きしなかったそうです。スポーツもサッカー以外はあまり得意ではなかったとのこと。何よりも「サッカーだけ」が大好きだった少年は、その後どのように成長したのでしょうか。

ピアノも水泳もすぐに辞めてしまいました

――子どものころどんな習い事をしていましたか。

小学1年からサッカー。合間にピアノ、絵画……と低学年のときにいろいろ習いましたが、ほとんど続かなかったです。俺が「習いたい」と言ったのか記憶にないですけど、ピアノは瞬間でやめました。絵画も……そっち方面はちょっと苦手で、身体を動かすほうが好きでした。とはいえ、水泳もちょろっと習っていましたがすぐにやめて、そのせいか、いまだに泳げません(笑)。

そもそもサッカーが忙しくて、小学生のころから週5で練習していたので、他の習い事が入る隙間がなかったというのもあります。続いたのは、中学のときに通った英語教室と、中学3年のときに受験勉強のために半年くらい行った塾くらいですね。

――この連載は「小さいころの習い事がその後どう生かされたのか」ということがテーマとなっていますが……。

いやー、まったく生かされてない(笑)。でも「俺みたいでも大丈夫」という話ができるかな、と。俺はたまたま最初に始めたサッカーが自分のなかでは一番で、それ以上のものに出会わなかったということ。やはり好きなことを続けたほうがいい。逆に、そうではないことを無理やりダラダラ続けてもしょうがない。割り切りの早さも必要ではないでしょうか。

――そもそも、サッカーを始めたきっかけは?

母がクラブチームに入れてくれたんです。当時、近所では野球をする子が多かったのですが、俺はバットを持つよりもボールを蹴っていた。その様子を見て「サッカーチームを探してあげたい」と。

――入団した「府ロクサッカークラブ」は東京都大会常連の強いチームですね。中村選手も小学5年のときに全日本少年サッカー大会に出場してベスト16に進出しています。

そうですね。でも、入団したのは“たまたま”です。母は強いチームとは知らなかったと思います。小さい子どもにとって強いことは続けるモチベーションのひとつにはなりますよね。勝ったほうがやはり楽しいですから。

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