インタビュー
2019年4月22日

“好き”は無敵。挫折して嫌いになりかけた新体操を再び好きになって乗り越えられた。新体操・畠山愛理(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #21 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍していたアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 小学生のころから新体操を始め、高学年のころには選手選抜コースで練習していたという畠山愛理さん。オリンピックの夢に向けて順調に進んでいましたが、中学2年生のときにケガをして転機が訪れます。挫折をどのようにして克服したのでしょうか。

前編はこちら:習い事は自分から「やりたい」と言ったものばかり。母は私の意見をいつも尊重してくれました。新体操・畠山愛理(前編)

あんなに大好きだった新体操が嫌いになってしまった

――新体操が好きでたまらなかったそうですが、「やめたい」と思ったことはありましたか。

中学のときにありました。中学2年生のとき腰椎分離症・すべり症を患い、全日本中学校体育大会の出場権を得ていましたが棄権。それがきっかけでクラブチームのコーチとすれ違いが多くなり、中学3年生のときは練習へいってもあまり見てもらえなくなってしまったんです。

「コーチに見てもらいたい」「演技したい」という思いが強かったのですが、それがない環境と、後輩と比べられたり、時には心に傷がつく言葉ももらったりととても当時苦しかった。体育館の扉の前に立ったら気持ち悪くなってトイレで吐いてしまって、せっかく電車で1時間かけて練習に行ったのに、すぐに帰るということがありました。

それは練習だけじゃなく、学校でも思い出して授業中に泣いてしまったことも。気づいたら身体が拒否するまで、新体操への気持ちが消えてたんです。

――そうして苦しんでいたところをご両親は知っていたのですか。

コーチとうまくいっていないことは、話していたので知っていました。「やめたい」と言ったら、お母さんは「愛理がそう思うなら止めないよ」と。「やめちゃだめ」とか「練習に行きなさい」という言葉を一切かけられたことはありません。「やめちゃだめ」と言われてたら、たぶんやめてたと思う。中学生は反抗期なので余計に。母は自分で考えて決断を出す時間をつくってくれていましたね。

――逆に、そんなに辛い思いをしていることがかわいそうで「もうやめなさい」と言いたくなる親御さんも少なくないと思います。またはコーチにクレームを入れたり……。

お父さん、お母さんもコーチと話しあってくれていました。コーチは何がなんでも全日本に出なさいというスタンス。私もずっと練習していたのだから出たくて仕方がなかった。でも、ドクターストップもかかってましたし、将来のことを考えて、両親は「絶対に出しません」と譲らなかった。そこで戦ってくれたおかげで、その後も競技を続けられたし、今も健康でいられるのかもしれません。

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