インタビュー
2017年11月8日

「バレーボールを選ばなくてもいいよ」。母が言った言葉が私の将来を決めた。元バレーボール日本代表木村沙織(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #4 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍するアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのように現在のプレーに活かされているか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 2017年3月に引退した元バレーボール日本代表の木村沙織さんは、ピアノ、英会話、習字を習っていましたが、バレーボールの練習が忙しくなりやめてしまいました。このままひたすらバレーボールの道へ……と思いきや、高校のときお母さんは意外な言葉を投げかけたとのこと。後編ではご家族との関わりを中心に聞きました。

▼前編はこちら

ピアノ、英会話、習字。実はバレーボール以外はあまり続かなかったんです。元バレーボール日本代表・木村沙織(前編)【子どもの頃こんな習い事してました #4】 | 子育て×スポーツ『MELOS』

小学6年生のときのチームメイトとは今も集まります

――ご両親は木村さんがバレーボールを続けることに対してどのように応援してくれましたか。

ふだん練習していた体育館は家から離れていたので、いつも車で送り迎えをしてくれていましたね。練習中は、母はいったん家に戻って、また7時半くらいに電話したら迎えに来てくれて。また、ほとんど毎週末、試合があったんですが、しょっちゅうビデオカメラを持って応援に来てくれました。

――プレーに対してのアドバイスはありましたか。

プレーに対してはあまり言われなかったけど、「試合に勝って泣くならいいけど、負けて泣くのはみっともないからやめなさい」と言われました。「泣くひまがあったらボールに触ったほうがいいんじゃない」と。それは強く言われました。

――小学6年生のときに、東京都の大会で優勝しましたね。

うれしかったです。その前の大会のときにある強いチームに負けて、そのとき初めて「悔しい」という思いがチームに芽生えて、次の大会でまたその強いチームと当たることになったので、みんな「リベンジしよう」とすごく燃えていたんです。それでそのチームに勝つことができたので、うれしくてうれしくて優勝前から優勝したかのように大喜びしていました。結果、その勢いのまま優勝できた。あのときの感情、光景はずっと覚えてますね。

――のちのバレーボール人生に大きな影響を与えた?

どうだろう、そのときそのときで役割が変わってくるのでまた違う感情があるんですけど、あのとき一緒に戦ったメンバーは今も仲がよくて集まることもあるし、集まると絶対その試合の話が出るんです。「毎回同じこと言うけどさあ……」って。そのくらい濃い思い出でしたし、メンバーとの仲も濃い。

バレーボール以外の道もあるかも……その答えは? 

――中学はバレーボールの名門私立校に進学しました。進学を決めたときの親御さんの意見は?

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