インタビュー
2017年11月25日

プロレスラーではなく、人間として、女として初めて自信が持てた。ブル中野氏(後編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #5】 (1/3)

 1990年代の女子プロレス界において、その実力とカリスマ性によってヒールの女帝として君臨したブル中野さん。1997年に左靭帯を2本切る大ケガをしたことで、人気絶頂の中、プロレス現役を引退。人生の目標を失ってしまいました。

 当時は「死ぬことも考えていた」という絶望から、どのように立ち直っていったのでしょうか。ブルさんの紆余曲折はまだ続きます。

前編はこちら

やっぱりリーダーは人気を集めて、お客さんを呼ぶことをやらなくてはいけない。ブル中野氏(前編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #5】 | ビジネス×スポーツ『MELOS』

プロゴルファーへの道に希望をつなぐ

― 女子プロレスを引退して、心が空っぽになってしまいました。そこからどうやって気持ちを立て直したのですか?

 アメリカからやっと実家に帰ったとき、両親が「15年間ずっと働いてきたんだから、何もしなくていいから、ここにいなさい」と言ってくれたんです。その言葉を聞いたときに、「ああ、自分はやっぱり自慢の娘にならないといけないな」と思いました。じゃあ何かやろうとしても、何もできない、やりたいこともない。プロレス以外でちょっとでも興味を持ったことは何かなと思ったときに浮かんだのが、ゴルフでした。

― ゴルフを選んだのは引退の後なんですね。

 そうです。現役のときに何回か接待でやってて、その楽しい思い出もあったので、どうせならゼロから始めてプロを目指そうと。ゴルフ場をいろいろ調べたら、キャディーさんをやってお金をもらいながら、練習をする研修生があったのですが、もう30歳ですからなかなか雇ってくれなくて。

― 大きなケガもありましたし、身体は大丈夫でしたか?

 体重がまだ115kgあって、一人では歩けないし階段も登れない。でも、どうにかゴルフ場が見つかって、4ヵ月後に入れることが決まったので、次の日からスポーツジムに行きました。

 靭帯を痛めていて最初は走れないから、プールの中を1日中ずっと歩いていました。あとはインストラクターさんにアドバイスをもらいながら、手探りでやった感じですね。最終的には3ヵ月で50kg痩せました。毎日みるみる痩せていくので、周囲には病気だと思われてました(笑)。大変でしたけど、生半可な気持ちでは次の人生ないと思ったんで。

― 減量に成功してゴルフの修行を始めましたが、またアメリカへ行ったのはなぜですか?

 ゴルフ場に入ったとき、ブル中野ということを隠して、ただの研修生としてやっていました。私は恥をかきながら、ゼロからしっかり練習したかったんです。ところがゴルフ場の人がバラしてしまって、ファンの人が見にくるようになってしまった。やっぱりブル中野のイメージがありますから、見つかったら私もブル中野にならないといけない。変なところは見せたくない。でもボールはぜんぜん当たらない。これじゃあ、日本のどこにいても練習できないと思って、アメリカに行ったんです。

― アメリカには何年行っていたのですか?

 トータルで9年ぐらい。はじめは観光ビザですが、2001年にアメリカ同時多発テロが起きて、入れなくなってしまった。で、学生ビザを取ったら、週に何時間か学校に行かなくてはいけないので、練習する時間がなくなる。最後はグリーンカード(アメリカ永住権)を取りました。でも、やっぱり難しかったですね。レベルがぜんぜん違いました。2008年に最後と思って受けたプロテストもダメで、それでまた実家に帰りました。42歳でした。

結婚が自信を取り戻し、新しい人生へ導くことに

― 2度目の決断ですね。お母さんは何か言われましたか?

 「やるだけやったので、ゆっくり休みなさい」と言われました。今まで自分のことばかりだったので、「今度は家族のために何かやろうかな」という気持ちになって、妹の子どもの幼稚園の送り迎えとかやってました。そのとき、ムエタイのジムの前をいつも通っていて、リングが見えると「ああ、懐かしいな」と思ったりして。まあ、そこで今の旦那と会って、1年後に結婚することになったんですが。

― 結婚が一つの転機になったのでしょうか。

 そうですね。プロレスを辞めて、引退式もしてなかったし、関係者とは一切連絡しなかった。ゴルフも10年近くやったのにダメで、ブル中野ということを消したいと思いながら生活していました。結婚は絶対一生しないと思っていたし。

 でも、旦那は「そんなに隠して生きていくことはないんだよ」ということをすごく言ってくれる人で、そこで考え方が変わりました。「自分でも結婚できるんだ」みたいな自信が出てきたし。それもプロレスラーではなく、人間として、女として初めて自信が持てた。それで、引退式をちゃんとやって、昔の自分と決別しようと決めたんです。

― そして、2012年1月8日に引退興行を東京ドームシティホールで開催しました。

 そのために体重を100kgまで戻して。終わってまた減量しましたが(笑)。

好きなプロレスを活かせる場所を作りたかった

― 2010年、中野に小料理屋を開きます。このきっかけは?

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