インタビュー
2017年10月26日

ケガとの戦いの中で見つけた信念の貫き方。水尾嘉孝氏(後編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #4】

 最後の望みをかけたアメリカでの挑戦が終わり、水尾嘉孝氏は2006年にプロ野球界から引退しました。そして次に進んだのは、イタリアンレストランのオーナーシェフというスポーツとはまったく関係のない世界。なぜ、わざわざ苦労する選択肢を自ら選んだのか? 後編では、料理の道への転身を決断した理由と、その苦労をお訊きしました。

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ケガとの戦いの中で見つけた信念の貫き方。水尾嘉孝氏(前編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #4】 | ビジネス×スポーツ『MELOS』

引退したら野球から離れることは最初から決めていた

― 料理の道に進むことはいつ決めたのですか?

 僕は、ユニフォームを着ている間は野球以外のことは絶対考えないというスタンスでやってきたので、引退まで本当に何も考えていませんでした。そして、実際に辞めるとなったとき、一生向き合える仕事に就きたいと思ったんです。いろいろ考えていると、あちこちの遠征先でいろんな物を食べさせていただいたり、自分なりに研究して食事を工夫したりしていたので、料理はどうかなと。

― 野球に未練はなかったのですか?

 プロ野球は野球をやるところであり、野球をやれなくなったら出て行く。唯一残っていいのは、ファンのみなさんに残って欲しいと言われるくらい名前を残せた人であって、自分からしがみつくのはちょっと違うと思ってました。

― その潔さはどこから出てくるのでしょう。

 高校3年のとき、甲子園に出られなかった反省がずっとあったのだと思います。だから、やると決めたからには腹くくってやらないといけない。横浜時代に監督ともめたときにも、もう自分のわがままを通すんだから、現役が終わったらこの世界は辞めようと思っていました。

再出発ならゼロからのスタートがいい

― 引退されたときはすでに38歳。ゼロからのスタートはかなりの決断だったのでは?

 いや、ゼロのほうがいいですよ(笑)。中途半端に知っている世界より、何も知らないほうが真っ白な状態から積み上げていけますから。とはいえ、時間をかけている場合ではないので、手っ取り早く学ぶ方法を周囲の人に相談しました。すると、忙しい料理屋さんで皿洗いをさせてもらって、下準備や下処理を覚えなさい。もちろん知識も必要なので、調理師学校にも行きなさいと。

― それで大阪ミナミの老舗洋食店の明治軒で皿洗いから修行を始めたのですね。周囲は若い人ばかりで気後れしませんでしたか。

 新しいことに望んでいく一番熱いときだったので、そんなことは大したことなかったです。というより、3ヶ月先輩の20歳ぐらいの子が「これ洗っといて」と指図してきたときには、僕を知っている料理長とかが逆に焦ってました(笑)。

 本当に知らないことばかりだったので、何でも吸収しなければという思いでやっていました。不思議に思ったのは、真剣に聞いていると、教える側も真剣になってくれる。いい加減な子にはそれなりの対応なんですが、相手が真剣だといい加減なものを渡せなくなるのですね。

― 辛い修行中で楽しかったことはありますか?

 最初の1年は皿洗いだけしようと決めたのですが、さすがに半年もすると、なんでこんなことしているんだと考えるようになります。そうしたら、料理長が「賄いをやらせてやる」と言ってくれて、それはもう楽しくてしょうがなかった。包丁を持って何かを切る、煮て味見をする、その1つひとつが本当に楽しくて。当時は、ずっと我慢、我慢の連続でしたが、料理への想いが持てたので、皿洗いは絶対やって良かったと思います。

初めての店づくりは大失敗!?

― 4年間の修行を経て2010年、自由が丘にご自身のお店「ケチャップ自由が丘」を開店します。資金はどうされたのですか。

 ドラフトで横浜大洋ホエールズに入ったときの契約金です。契約金1億円は、当時の最高記録でした。1990年といえばバブル期でしたが、6割近く税金で持っていかれて、残りでは何もできない。じゃあ銀行に預けておこうと。スカウトの方にも「これは契約金とはいえ、退職金だと思いなさい。辞めたときのために置いておくんだよ」と言われました。お店を開くときには、知り合いの経営者の方から「自己資金はあっても極力残して、資金繰りをきちんと考えてやりなさい」とアドバイスをもらいました。

― 実際の店づくりで苦労されたことは?

 僕は落ち着いて食事のできるレストランをやりたい、こういうふうにしたいと、建築家とかに話していたのですが、「野球選手が店をやるんですね」「もっとカジュアルな感じにして入りやすいほうがいいですよ」などと言われて、できあがったのはカフェだったんです。床が真っ白、壁も白木、清潔感があっても、落ち着いて食事できません。工事を見てて、ちょっと違うなーと感じながらも、プロに任せたほうがいいものができあがると思っていたんですね。

 昼間、カフェとしてお茶を飲みに来られるお客さんはたくさんいるんですけど、レストランなので夜がメインですと言うと、「あら、夜もやるのは大変ね」と言われてしまう。営業的には厳しかったです。

― 意図したものと違ってしまった。それで改装されたのですね。

 知り合いの経営者の方からもすごく怒られました。一度食べに来ていただいたんですが、入ってきた瞬間、「ここのお店は聞いていた話とぜんぜん違う。コンサルタントが流行に合わせたような、その場限りの店にしか思えない。とにかくやり直せ」と。水尾色を出さなければダメなんだ。それでイチからやり直そうと決め、なんとか金融機関からの融資も受けられました。

水尾氏ならではの個性的なメニューが魅力

― 2011年に店名も「Torattoria Giocatore」に変え新装オープンしました。メニューも一新したのですか。

 最初にカフェと思われていて、急にイタリアンと言っても、なかなかお客様に伝わらない。だからイタリアンの王道のメニューをぜんぶそろえて、イタリア料理ということを分かってもらおうとしました。

― 今はもうイタリアンレストランとして認識されているのでは?

 今、岩中豚のスペアリブを出しています。僕は現役中から高タンパク低カロリー食をずっと食べていて、引退してからも脂っこいものが苦手になりました。自分が美味しく食べられるものはないかと、スペアリブの油を落として柔らかく煮込んだら、けっこう評判が良くて。イタリア料理ではないので、ずっと出してなかったのですが、そろそろいいかなと。これから寒くなってくると、トマトフォンデュがオススメです。うちのトマトソースは野菜たっぷりで炊いていて、野菜のソースに野菜をつけて食べる感じです。

― すごいヘルシーで美味しそうですね。

 ほかの料理人の方が作っているのを見てびっくりしたのは、油の量がすごく多いこと。昔、僕がお店に食べに行ったときには、油は極力使わないように作ってもらっていました。自分で作るときも油は極力少なくして、それこそ食べ終わった皿の上に油が浮いているなんてことはありません。だからご年配の方が来られても、ぜんぜん胃もたれしないし食べやすいと言ってもらっています。修行中、お肉を煮るときに油をぜんぶ取っていたら、料理長に「それも味だから入れなさい」と言われましたけどね(笑)

― メニューにも水尾色が出てきたのですね。そのヘルシー志向をもっと打ち出すつもりはないのですか?

 スタッフにもよく言われます(笑)。いいものを作ろうとするだけで、いいものを売る工夫がないんですね。これからは発信もきちんとしなければと思ってます。

10年先を考えた店舗展開を計画中

― 今後の目標は何でしょう?

 早く店舗展開したいです。1店舗だけというのはすごく効率が悪い。たとえば5店舗あれば、一度「ジョカトーレです」と言うと5店舗が恩恵を受ける。でも、1店舗ではすべてこの店にしか戻ってこなくて、いつまで経ってもしんどいスパイラルから抜け出せないんです。

― 店舗展開の計画はどのように考えていますか。

 今の場所は、たまたま物件が見つかったのですが、実は今、自由が丘はあまり良くない(笑)。近くに武蔵小杉と二子玉川という街ができあがって、人が流れています。特に夜は、自由が丘で降りて食事をして帰る人が減ってます。しかし、街の価値が下がったといっても、物件の家賃は下がりません。だから5年先10年先のことを考えて、発展性のあるところにしなければと思います。

 たとえば、野球をやってきたつながりで各地に知人がいて、東京に来たときにお店へ行きたいと言ってくれるのですが、場所は自由が丘と伝えると、「いや、仕事終わってから自由が丘まで行けないよ」と言われて、ああ、そういうこともあるんだと。次はもう少しアクセスのいい所にしようと思っています。

― 最初のお店が思うようなものでなかったことが、結果良かったのかもしれませんね。

 そうです。だからそこで考えた。反省を踏まえたから今の形になった。今では何をやるにも慎重に考えて、ほかにもやり方ないの? とすぐ調べるようにしています。その考える習慣をつけるためにも、失敗はあったほうがいいと思います。

[プロフィール]
水尾嘉孝(みずお・よしたか)
1968年5月2日生まれ。奈良県出身。元プロ野球選手。明徳義塾高校から福井工業大学に進学。1990年度ドラフトで1位指名を受け、横浜大洋ホエールズに入団。その後、オリックス・ブルーウェーブ、西武ライオンズへ移籍。2004年、渡米してアナハイム・エンゼルスに入団するも、2006年、首痛の悪化から引退。料理の下積みを経て、2010年、自由が丘に自身のレストランを開店。現在は「Torattoria Giocatore(トラットリア・ジョカトーレ)」のオーナーシェフ。
【Torattoria Giocatore】http://gioca.jp

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<Text:渡辺幸雄+アート・サプライ/Photo:小島マサヒロ>